今日もタマ子に夢中な里山です。
天ちゃんが逝きました。加温して2日目のことです。末期の状態は、見るも無残な姿でした。
初動の間違いから全てが悪い方に回り、そのまま進んで行ってしまったように思います。今回はこの件に関する反省会です。
初期観察からの思い込み
天ちゃんの死亡原因は、浮き袋の異常でした。最期の姿は無残なもので、浮き袋が内臓を押しやる程に膨らみ、腹の皮が半分裂けかかっていました。
↓背骨と内臓(白っぽく見える部分)の間に、透明な袋状のものが確認出来ます。正体は目一杯膨らんだ浮き袋です。
そんな姿になるもっと前から、兆候はあったはずです。問題は何でそのことに気付けなかったかという部分。
どうしてそうなってしまったのか、答えはコレです。
背中の粘膜の塊や、内臓脂肪のことにばかり目を向けています。そして、このことに囚われ過ぎてしまったのです。
一方的な思い込みから、「しっかりと観察する」「見えないものを見る」という点を欠いていました。
観察とは
メダカ講座で教えてもらったことを、実践出来ていませんでした。
観察とは、本質を探ることです。見えないものを見ることです。注意深く見ることです。背中のコブばかりに目を向けていたせいで、里山は見るべきものを見ていませんでした。
浮沈に異常があるなら、先ずは浮き袋のチェックをするべきだったのです。
見ていても「見えていない」
メダカの浮き袋は背骨と腸の間にあります。
幼魚の頃は観察がし易く、鱗がしっかりとして行くにつれ見え難くなりますが、見えなくはありません。横から光をあて透かして見るようにすると、透明な袋のようなものがあることがわかります。
あまりにも背中に囚われ過ぎていた里山は、何度も何度も天ちゃんを横から見ていたのに、「何も見ていない状態」でした。
失敗には法則がある
思い込みとは実に厄介なもので、失敗する最たる原因です。里山は過去にも「思い込み」で失敗しています。
「××になっているから、これは△〇病だ!」と思い込んでしまうと、そうではないのにそうなってしまいます。一旦自分をニュートラルの状態にし、ありのままを観察することが大切と知りながら、全く出来ていませんでした。
知っているだけで、わかってはいないのでしょう。腑に落ちていない状態です。一番の反省点です。
浮き袋の病であったとして、何が出来たのか
――早期に浮き袋の異常に気付いていたらどうであったか?
考えてみましたが、結局は何も出来なかったんじゃないかなと思います。メダカについては、未だ未だわからないことが多いです。
おわりに
今回もメダカに色々と学ばせてもらいました。感謝!
天ちゃんがいなくなって、家の中が少し淋しくなりました。たかがメダカ、されどメダカ。やはり大事にしていた存在がいなくなると、心のどこかに空白が出来ますね……。
病気のメダカは突然にポッと目の前に現れます。
初動の対応に気を付けようと、改めて思いました。先ずはしっかりと観察!!です。先入観を捨てて、ありのままを見る。次回も同じ失敗をしないよう、気を引き締めたいと思います。