メダカ百華vol.4を注文してしまった里山です。(楽しみ♪)
先日記事にした青幹之ですが、本日その亡骸を確認しました。
遺体の状態からして、昨日の夕方くらいに息を引き取ったのではないかと推測します。その日は若干遅く帰宅をしたので、ベランダの様子を見に行ってませんでした。
大切にしていた大好きな幹之ですが、「淋しい」という気持ちはあるものの、ペットロスのような症状はありません。
冷たいでしょうか?
ペットロスとは何か
ペットロスとは、ペットとの死別によって生じる心理的な打撃のことです。飼い主が受けるストレスは様々で、身体的な症状の原因となることもあります。
以下、ペットロスの伴い易い症状の一部を上げておきます。
・食欲不振
・不眠
・うつ
・自殺願望
などなど。
人によっては理由のわからない焦燥感や肉体の痛み、不安感などが現れるかも知れませんね。大切なモノを失い、心のバランスが崩れてしまっているのです。
メダカ大好きですが
里山がどれだけ自宅のメダカを愛でているかは、ブログを書いている時点で察することが出来るかと。
メダカを「うちの子たち」と呼び、食事も自分より先に与え、日々の観察は欠かさず、水槽の掃除もし、かなり長い時間を一緒に過ごして来ました。
ですが、里山はペットロスにはなりませんでした。
メダカ(魚類)と犬猫(哺乳類)は違うと言う以前に、死生観(死に関する捉え方)が違うのだと思います。
生物は「死ぬ」
生と死は表裏一体です。生きているから「死ぬ」ということがわかるし、死ぬから「生きている」ことが尊く(貴重である、価値がある)と思えます。
昨今は「死」というものをやたらタブー視する傾向があるように感じますが、生きてるから死ねるし、何れ死ぬから「よりよく生きたい」と思うんだよ?
メダカが逝ってしまうのを「☆になりました」と気遣って言う人が多い中、こんだけ「死んだ」とストレートに表現する飼育者も珍しい……。
さておき、大事にしているメダカたちとも、やがて死別する日は来ます。余程の事件が無い限り、飼育者は常にメダカを見送る立場です。
大切な存在が死んでしまえば、やはり悲しいです。
里山も「悲しい」「淋しい」といった負の感情は抱きます。ですが、それ以上に「いろいろ勉強させてくれて有り難うね。一緒に過ごせて良かったよ。」という気持ちの方が強いです。
死を特別視しない
繰り返しになりますが、生と死はワンセットです。生きているから死ねるのです。
それなのに「死」だけを特別扱いし遠くへ追いやってしまうと、いざその時が来た時に、事実を受け止められなくなってしまうと思うのです。
現実の世界
青幹之の亡骸を発見した時、里山が行ったことは……
・速やかに亡骸を水槽から出した
・病死かどうか、目視出来る範囲で確認した
上記2点です。
水質の悪化を防ぐ、病気が蔓延するのを防ぐという意味で、上記2つは非常に大切なことです。本当にメダカが大事だからこそ、迅速に動きました。
放って置いても利は無い
死んだ個体を水槽内に何時までも放置しておくと、水質の悪化を助長し、時には病気を蔓延させることとなります。
何時までも放置せず、早い段階で掬い出します。余計な犠牲を出してはなりません。
死んでいく恐怖
里山は「メダカが死んでも平気」と言っているわけではありません。
最初に飼育した緋メダカたちは、一晩の内に次々と死んでいきました。眠って起きたらまた死んでいるのでは?と、しばらくは怖くて眠れませんでした。
――恐怖、悲しみ、喪失感
複数の負の感情が入り混じり、精神的な負担が非常に大きかったです。だからこそ、メダカたちのことを学びました。
悲しんでいても、やらなければいけないことはやるのです。
おわりに
自分が大切にしている生物が死んだら、誰だって悲しいに決まってます。だからこそ、一緒に過ごして来た時間が輝いて見えます。
思い出は、自分を苦しめるためにあるのではないと思うのです。
ヒトの一生からしたら、たったの1年半。だけどメダカにとっては一生涯。長い間一緒にいてくれて、本当に有り難うとうね。