メダカとの非言語会話を楽しみたい里山です。
飼育しているメダカたちと上手にコミュニケーションが取れているか、気になったことは無いですか?
里山はあります。
飼育=共に暮らす仲間です。お互いの関係が良好であることに越したことはありません。
メダカたちとのやり取りを振り返ってみました。
メダカとコミュニケーション
里山の言うコミュニケーションとは「意思の疎通、心の通い合いという意」です。つまり、議題にしているのは「メダカと意思の疎通は出来ていますか?」ということ。
メダカたちとコミュニケーションは出来ていますか?
懐かないメダカ
去年に夏、里山はメダカのことで悩んでいました。おっさんから頂戴して来たメダカたちが、全く里山に懐かなかったのです。
元気かな?と様子を窺いに行ってもビクビク、エサをやりに行ってもビクビク。もらって来たメダカたちはビクビクと怯えるだけで、全く里山に懐きませんでした。
「この子たちは、きちんと相手の判別が出来るんだ。」と気付かされた瞬間です。
メダカを単なる魚類と侮ることなかれ。彼らはきちんとこちらを認識しています。里山が新しい飼育者であること、危険性が無いことを理解してもらうまでに、約2ヶ月ほどかかりました。
今は共生相手として、メダカたちに認識されているようです。
言語を介さずとも
ヒトという生物は言語を通じてコミュニケーションを取ることが出来ます。(個々の種族において言語が違うため、度々共通語が必要になりますが。)
しかし、言語以外でコミュニケーションが取れないのかと言ったら、そうではありませんよね?
身振り手振りで思いを伝えるゼスチャー、表情、仕草。言語以外にも何かしらの手法で意思の疎通を図ることは可能です。
相手のことを感じろ
メダカとのコミュニケーションは非言語です。言葉という解り易いツールを使用しないので、難易度は高め。ですが、意思の疎通を図れないわけではないのです。
大切なのは日々の観察です。見えないモノが見えるようになってきます。
メダカの行動とヒトの心
里山宅のメダカたちは、水槽に指を入れる(近づける)と近寄って来ます。そうかと思えば、近寄るどころか、すごい勢いで逃げてしまうこともあります。
こういった日々の行動を観察していくことで、メダカが何を伝えているのかわかる気がします。
共通の言語を持たぬ間柄だからこそ、メダカたちは行動で示すしかないのです。
近寄って来る時は
・お腹が空いている
・危険性が無いと判断している
・遊んで欲しい、他
お腹が空いている
解り易い行動ですね。お腹が空いているので、水面近くを泳ぎご飯を要求しているのです。
危険が無いと判断している
捕獲用の網を持っていても、捕まえる意思が無いのがわかると普段通りに泳ぎます。
ミジンコを与える時、水槽のゴミを掬う時など、メダカたちに危険性が無い時は何事も無く泳いでいます。好奇心からか網に近寄る者すらいます。
ですが、捕まえる意思を持ち網を構えると、状況は一転します。全力で逃げ回るのです。
見えない何かを感じているのでしょうか。言葉を介さない分、直感的なモノが非常に鋭いのだと思います。
遊んで欲しい、他
メダカたちの日常に「退屈」が存在するのかは知りませんが、エサを強請るでも無く、不意に近寄って来ることもあります。
近寄ら無い時は
・満腹
・怖い、相手の意思が透けて見える
・命に危険性がある
満腹
お腹が一杯になると、ヒトの近付かなくなることがあります。「エサをもらう」という行動を達成し、ヒトへの用事が済んでしまったのでしょう。
怖い、相手の意思が透けて見える
理由は何でも構いません。「捕まえてやる!」という意思を持って網を構えると、メダカたちは急いで逃げ出します。
同じ「網を入れる」でも、ミジンコを与える時は逃げません。寧ろ寄って来ます。
このことを当たり前と思いますか?
メダカは第六感的なモノで、ヒトの意思を感じているのだと思います。
命に危険性がある
水温が著しく低下しているなど、自身の存亡に関わる状態に置かれたメダカは、必死に逃げ回ります。
おわりに
科学的な根拠は示せません。何か実験をしたわけではないからです。
日々メダカたちを観察して来た結果、「メダカなりにコミュニケーションしてるんだな。」と感じただけのこと。
もしかしたら、日々送られて来る動物たちからのメッセージを、里山たちヒトは無視しているかも知れません。